「性格が病を作り性格が病を癒す」あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。2026年本年もよろしくお願いいたします。実家に帰省しております。実家では高齢の両親が風邪をひいており、すっかり私もいただきました。
元日夜より発熱。すっかり風邪ひき正月です。この冬何度か風邪をひきましたが、ここにきてでっかいヤツ!!
いやもういっそ、ここで毒素を吐き出してしまえ!という気持ちです。
さて、「性格が・・・」の題名ですが、年末にある患者様のご家族とお話している中で出てきた言葉です。
何かの御本を読んでいて心に響いたのです、とおっしゃっていました。大病をされた患者様やそのご家族の言葉には重みと説得力があります。
病いを得るのは、もう仕方のないことだと思うのです。なにがいけないからということはなく、誰もが平等に危険をはらんでいます。
だけれども、それをどうとらえどう生きるかは心持ちが大きい、というお話。
大病をしたことのない私が言うのも本当におこがましいですが、本当にそうだなー、そうできているのはすごい力だなぁ、と思いました。
そしてきっとこれは「老い」についても同じなのだとも思ったのです。
私の母は歩くのもやっと・・・の状態です。よく頑張っていてくれていますが、今の彼女を見る限り「性格が病を癒す」の部分で自らを苦しめているように見えます。つらいだろうな・・・。
昨晩も彼女はゴミ袋を結わこうとし、なかなかもどかしくできない状況で「おとうさーーーーーん!!」と何度も何度も大きな声でヒステリックに父を呼びました。父は耳が遠くなっていますので反応しません。その結果彼女は私に「お父さんは私の死に目に会おうとしないのよ」と言いました。
いやいや、今そんな話はしていない、今はそのゴミ袋を結わきづらいな、ということだけ。
高齢になっていろんなことができなくなって、悔しくて悲しくてもどかしくて腹が立つ・・・それはそうでしょう。
だけれども怒りの気持ちで妄想が広がってどんどんいろいろできなくなる、その負のループの中にいるように見えます。
母の今の状態は父と母の歴史を経て成り立っていますが、今の彼女の心の中はもはや執着です。愛情への執着。
本来母は元気で明るくタフな人で、頑張るという方法で乗り越えてきた人です。その人をしてこんなに辛そうである、ということは「老い」とは相当に辛いものなのだなとも思います。しかし「頑張る」が執着になってしまうと、なかなか厳しいですね。
本来、人は自由です。歴史や過程からも、性格からも、相手からも、自分の考えからも自由でいられるといいなと思います。
私を含め誰にでもある執着。これが大きくなってしまう前に手放し、自由でいられるような年月を重ねられるといいなと思っています。